HOME > 利用者・研究者の声 > 第2回 米粉による嚥下食開発で日本の稲作、そして環境を守る

第2回 米粉による嚥下食開発で日本の稲作、そして環境を守る

 第1回では、スマート農業でスマート社会をめざす農研機構という組織と事業内容、米を取り巻く現状について伺いました。日本人の力の源である米を守るため、時代のニーズに合わせて米を進化させる研究、お話を伺ったお二人の研究者からは、米を研究する「楽しさ」、そして日本の稲作文化を守る「強い意志」を感じることができました。
 さて、今回は、第1回目の冒頭でご紹介した高アミロース米を使った米粉による嚥下食について、開発コンソーシアム設立の経緯、高アミロース米の特徴、開発の現状や将来展望などについてお伺いしました。

前田 英郎
前田 英郎
農研機構次世代作物開発研究センター
稲育種ユニット長
芦田 かなえ
芦田 かなえ
農研機構次世代作物開発研究センター

※所属部署・役職はインタビュー当時(2021年2月)のものです

●高アミロース米の物性が嚥下食に向く可能性に気づき共同コンソーシアムを設立

本日は今回の研究内容について具体的にお伺いします。この研究が始まった経緯を教えていただけますでしょうか(図1:研究概要図)。

芦田 当機構が開発した品種の1つとして高アミロース米*という、普段私たちが食べているお米と少し性質の違うものがあります。前回のインタビューの最後の方でも話が出ましたが、ご飯としての米の消費だけでなく、米粉としての利用を模索している中で、高アミロース米の米粉に水を加え加熱して糊状にしたあと放置しておくと、ゼリー状に固まることが判明しました。このままゼリーとして食べられるのではないかと考え、物性**を調べているうちに、嚥下食として使えるのではないかと気づきました。それをなんとか実用化したいと考えているなかで、国立国際医療研究センター・リハビリテーション科の藤谷順子先生をご紹介いただき、本研究に興味をもっていただき、このような共同研究コンソーシアムが設立されるに至りました。

図1:研究概要図

*米の主成分は澱粉だが、その澱粉はグルコースが直鎖状に結合したアミロースと枝分かれ構造を有するアミロペクチンという2種類の性質の異なった成分から構成されている。普段私たちがご飯として食べているうるち米はアミロースの構成割合が15%前後である。一般的にはアミロースの構成割合が25%を超えるものが高アミロース米と呼ばれる。
**物性(食品物性)とは、咀嚼や嚥下時に物理的感覚として知覚される食品の性質のこと。測定可能な食品の物性パラメーターには、「硬さ」「付着性」「凝集性」などがある。

この研究における農研機構の役割を教えてください。

芦田 この研究が始める以前に私たちが行っていたのは、高アミロース米からゼリーを作り、その物性を調べるころまででした。実際に家庭や調理室の規模で調理した場合、物性がどうなるかなどについてはわかりませんでした。
 コンソーシアムでは、在宅介護の場合や病院でどういう規模で調理されるのかなどの情報が共有できます。想定される様々な条件を再現してみて、嚥下食に適した物性になるかを調べ、家庭でも誰もが同じように作れるような使い易いキットの作成を検討しているところです。

そのキットというのはどういったものになるのでしょうか。

芦田 例えば、一食分あるいは一回の調理分に分包された米粉と電子レンジで使える専用の調理容器、混ぜるためのスプーン、レシピなどを入れたパッケージを考えています。

●嚥下食には「やわらかく」「くっつかず」「ばらけない」ことが求められる

そもそも高アミロース米と私たちが普段食べているお米(うるち米)とはどう違うのでしょうか。パサパサしているお米と聞いています。タイ米のようなものでしょうか。

芦田 タイ米は正しくはインディカ米と呼ばれる品種群で、長粒種と呼ばれる長い粒の米です。高アミロース米は粘りが少なくパサパサしているのでタイ米のようなものと思われるのかもしれませんが、インディカ米のなかにもアミロペクチンの含有量が高いものもあるので、タイ米(インディカ米)= 高アミロース米というわけではありません。私たちの使っている高アミロース米は日本の品種で、粒もタイ米のように長くありません。見た目は普通の米です。

高アミロース米の物性が嚥下食に向いているのでは、という気づきが今回の研究のきっかけとなったという先ほどのお話でしたが、このお米の物性の特徴をもう少し詳しくご説明下さい。

芦田 検討した物性は、「硬さ」「付着性」「凝集性」です。嚥下障害のある方というのは噛む力も飲み込む力も低下していますので、硬いものは小さくできず、飲み込みにくいのです。凝集性というのは「食品を形作っている力」とでもいいましょうか、食品のまとまりやすさ、を表す概念だとご理解ください。
 消費者庁の特別用途食品(嚥下困難者用食品)の規格基準では、硬さと付着性と凝集性の3つの値により、許可基準I、II、IIIと分類されています(図2:消費者庁の特別用途食品許可基準)。

芦田 <やわらかく>(硬さ)、<くっつかない>(付着性)、<ある程度まとまりがある>(凝集性)というのが嚥下食に求められる物性です。言い換えますと「噛まずに口の中に入れてそのまま飲み込め、口の中でばらけたり、広がったりしない」ような特性ということになります。

いまおっしゃったような物性は、特殊な装置を使って科学的に測定されるものだとは思いますが、それとは別に、嚥下障害を有する患者さんが実際に摂取したときの評価も必要ですね。

芦田 はい。そういった評価は、嚥下障害患者さん、一般人(健常人)などに実際に食べていただく必要があります。こういった検討を行うのが臨床試験です。物性と食品が口のなかで実際にどのような挙動をとるかは切り離して考える必要あり、そのような評価は、口の中に入れた食品の動きを撮影するというような方法(嚥下内視鏡検査)で行われますが、それは私たちの研究所ではできませんので、コンソーシアムに入っている医療機関にやっていただくことになります。

●臨床試験は遅れているが、これまでにない嚥下食として準備は着々と進行

現状、この研究(図1)はどの段階にあるのでしょうか。

芦田 現時点では、①米粉を利用した嚥下食レシピの作成と②嚥下食調理に関する情報収集の段階です。当初の予定よりは遅れていますが、理由の1つはやはり新型コロナです。コンソーシアムに参加している施設でも業務に影響が出たり、人の出入りが制限されて臨床試験の開始が遅れています。ただし、倫理委員会を通すなど、事務的な作業は粛々と進めています。
 また、これは進行スケジュールとは別の問題ですが、こちらから米粉を送っても、加熱時間が短かいと「固まりません」の声が出てきます。ですから現在は、調理手順を明確に示し、お伝えすることに力を注いています。②に関しては、アンケート調査が進行中です。

レシピのほうはどのくらいできているのですか。

芦田 レシピについてはすでにかなり準備ができています。さきほどもお話した調理キットがだいたい出来上がりつつありますので、あとは、そのキットの説明書の指示にしたがって、家庭の電子レンジでだれが作っても嚥下食の物性を有するものができるなどが確認できれば、倫理委員会はほぼ通っているので、臨床試験は問題なく進むと思います。その後、どういったパッケージで出すなどを検討して、商品化に向かうことになると考えています。

米粉を使った嚥下食というのはこれまで存在しなかったのでしょうか。あるいは、存在はするがこれまでのものは使いにくい、ということなのでしょうか。

芦田 いま広く出回っている米粉というのは私たちが普段ご飯として食べている品種の米を製粉したものです。それは水を加えても、どろっとした澱粉糊になるだけで、口の中に入れても貼り付いてしまいます。ですから嚥下食には向かないものです。介護食として市販されているレトルトのおかゆなどで、原材料として米粉を使っているものはありますが、酵素や、増粘多糖類*を使ったゲル化剤などを加えて物性を調整したものが販売されています。手作りする場合には、おかゆを炊いて酵素と共にミキサーにかけて、それをゲル化剤で固めて提供していることが多いです。

*増粘多糖類とは、高い粘性をもち、複数の糖からなる水溶性の多糖類のこと。歯ごたえ、舌ざわり、喉越しなどの食感を調節したり、とろみを付けたり、食品の形態を安定させる働きがあることから、菓子、惣菜、介護食などに利用されている。

いま出回っている米粉は高アミロース米の粉ではないので、嚥下食には向かないということですか。

芦田 いま出回っている米粉はほとんどが中アミロース米なので、色んなものを加えて調整しないと嚥下食としては使えないのが現状です。

非常に手間がかかるわけですね。一方、今回の研究で実用化をめざしている高アミロース米の米粉は、ご家庭でもそれほど手間をかけずにご嚥下食になりうることを目標としている。

芦田 はい。私たちがめざしているのは米粉100%、添加物なしでできるものを目指しています。

●ご飯の香りがほんのり残る一方、味は薄いので味付けしやすい

米粉を溶かしてそのまま食べても当然、おいしくはないと思いますが、味という点ではどうなのでしょうか。物性的に嚥下食に向くゼリー状の食品が作りやすいというのはわかるのですが、高アミロース米はパサパサしている、という先入観があるので、嚥下しやすいとしてもおいしくないのではないかと思ってしまいます。おいしく調理できるかどうかという点ではどうなのでしょうか。

芦田 たしかに高アミロース米を普通に炊飯器で炊いてご飯にするとパラパラで、お箸ではつまめないような炊きあがりになります。ですからご飯としてそのまま食べるにはおいしくないというのはそのとおりです。ただ、パスタのようなものにしたり、スープの具材として入れたりする場合は、ネバネバしていないところが良い点になります。チャーハンにするとパラパラしたおいしいチャーハンになります。つまり、食べ方によると思います。ドレッシングをかけてサラダにしてもおいしくいただけます。このようにご飯ではなく、食材として考えれば調理が難しいとか取扱いが難しいということはないと思います。

ご飯という言葉にとらわれないで、嚥下食の材料となる食材として考えたほうがいいということですね。

芦田 ええ。高アミロース米のゼリーはご飯の味、ご飯の香りもほんのりとするんですよ。いろんな先生に食べていただいたのですが、ほとんどの方がおいしいと言ってくださいます。ご飯の味はするので、主食の粥のゼリーなどにいいのではないかと考えています。一方、ご飯の味そのものは薄いので、お茶漬け風の味をゼリーの中に混ぜ込む、お砂糖を入れるとデザートになる、牛乳を入れると牛乳プリンにもなるなど、さまざまな味付けのバリエーションが可能で、使いやすいと思います。

高アミロース米にもいろいろな品種があると思うのですが、今回の研究では何という品種をお使いになるのでしょうか。

芦田 「北瑞穂」「亜細亜のかおり」「ふくのこ」の3品種です。この3品種を選んだ理由は、栽培環境の影響をあまりうけず、アミロース含有率が30%前後を維持できることと、ある程度栽培面積があり栽培方法も確立されているからです。お米というのはそれぞれ栽培に向いた地域というのがあり、「北瑞穂」は北海道向けの品種、「亜細亜のかおり」は東日本向けの品種、「ふくのこ」は西向けの品種、ということになります。
 また、これは少し専門的な話になるのですが、これらの品種は栽培地の違いに加えて、高アミロース性の遺伝子の由来が異なり、その結果、澱粉の特性が少しずつ違います。これらの特性の違いが物性だけでなく、調理をした際の作業性などにどのような影響を与えるのかなども調べています。

これら3品種とも今回の研究でお使いになっていらっしゃるということでしょうか。

芦田 現時点では農研機構で開発したこれら3品種を使用して研究を進めています。ただ、最終的には品種を絞るかもしれません。これについては検討中です。

●消費者庁の嚥下困難者用食品の許可基準Ⅱの物性をめざす

一口に嚥下障害といっても障害の程度はさまざまです。今回開発中の高アミロース米の米粉が製品化された場合、どのレベルの嚥下障害を持つ患者さんに利用していただけるものとお考えでしょうか。

芦田 嚥下障害の医学的な重症度分類については専門外なので、正確なことはお答えできないのですが、めざしている対象は<軽度嚥下障害>を有する方です。消費者庁の許可基準(図2)でいうと基準IIを達成できる製品をめざしています。かまずに口の中で少しずつつぶして飲み込めるもの、ということになります。製品そのものは米粉ですが、先程も申し上げたように、レシピや器具を含めたキットを作り、調製・調理方法も含めた情報を提供し、病院や介護施設、患者さんの家族や介護者が従来以上に簡単に用意できるおいしい嚥下食となることをめざしています。

最後にこのサイトを見に来て下さった読者の方々に向けたメッセージをお願いします。

芦田 私たちは毎日の主食であるお米を食べ続けることができるようにと、新しい品種の開発や活用方法の提案に努めています。今回このコンソーシアムができたことで、嚥下障害を持つ患者さんや家族、調理にかかる方々に喜んでいただける、簡単でおいしい製品をお届けできるよう頑張っていきたいと思います。

前田 お米というのは水田からできるわけですが、水田というのはただ単にお米を作るだけでなく、水をためたり、虫の住処になったりなど、環境に対しても大きな影響を持っています。ですから、米粉を嚥下食として使うという今回のような新しい用途を見つけ、米の消費を増やしていくことは、日本の環境を守る一因にもなります。今後も新しい利用方法を積極的に見つけることで、お米の消費が増えていくことを期待しています。

まとめ

 今、若い人の間では、稲作のゲームが人気だという。そのゲームは、「お米は力」をキャッチフレーズとする「天穂のサクナヒメ」という。お米を育て、育てたお米で力をつけて鬼と戦うというゲームである。お米を取り巻く環境は、意外と明るいといえるのかもしれない。
 2回にわたり、長時間のインタビューにお付き合いいただきました芦田先生、前田先生、ありがとうございました。